曾我蕭白
蕭白は、奇行の人、異端の画家として、長く評価されなかったが、ボストン美術館の蒐集研究などをきっかけに再評価され研究も進んでいる。
四季山水図押絵貼屏風は蕭白の作品の中では端正ですっきりとした作品で、贋作が多いといわれる蕭白の押絵貼屏風を見極める際の基準作と評価されている。
堀江友聲
堀江友聲は、江戸後期、享和二年(1802)島根県大原郡大東町に生まれた画家。松江で学んだ後京都へ出て、中国諸派の絵画や円山派の彩色法など様々な技法を会得し、諸国を遊歴。51歳で広瀬藩に招かれて藩士となった。出雲地方の画壇では最も高名な画家の一人であり、多くの作品を残している、また門人も大勢養成している。
刀剣
日本刀の魅力は、刀身の素晴らしさもさることながら、鞘(さや)、鐔(つば)、小柄(こづか)、笄(こうがい)、縁(ふち)、頭(かしら)、鐺(こじり)、と隅々まで技巧と教養を凝らした拵え(こしらえ)にもある。室町時代から江戸時代までの刀身と拵え(刀を収めた鞘(さや)とそれを飾る装飾品などを総称した刀装具のこと)を保存している。
西田幾多郎
西田幾多郎(にしだきたろう)は、著書『善の研究』で知られる哲学者。明治3年石川県に生まれ東京帝国大学で哲学を学んだ西田は、第四高等学校を始め数々の学校で教鞭をとり、日本初の哲学書『善の研究』など数々の論文を発表し、京都大学教授時代には多くの門下生を世に送り出した。その思索は「西田哲学」と云われ、我が国を代表する世界的哲学者と評価されている。また、京都時代に西田が散策した道は、今も『哲学の径』と呼ばれて親しまれている。初代館長・十代手錢白三郎は昭和初期に西田の知遇を得、手紙のやりとりをしており、その折りに依頼した書の中には、西田自作の漢詩や和歌が書かれている。